戦後日本とインドシナ難民受け入れの意義/冷戦人道主義の逆説

難民を助ける会は2019年に創立40周年を迎えました。
これを記念して、2019年11月9日(土)13:00~18:00 上智大学四谷キャンパスにおいてシンポジウムを開催いたしました。

難民が開く日本社会
-インドシナ難民の受け入れから40年を経て-

ねらい

1970 年代、日本は戦後初めての本格的な難民受け入れ政策としてベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ三国からの難民を受け入れました。
昨今、日本では外国人労働者問題に注目が集まるなか、第三国定住政策が拡大されるなど難民受け入れも大きく変わろうとしています。
日本で唯一の難民受け入れの先行事例であるインドシナ難民受け入れの40 年間をふりかえり、多様化・国際化する日本社会を考えます。

プログラム

第1 部 日本におけるインドシナ難民研究の射程

総合司会 蘭 信三(上智大学大学院国際関係論専攻 教授)


難民が日本社会を切り開いていった、難民は客体でなく主体である。

「 戦後日本とインドシナ難民受け入れの意義」人見泰弘(武蔵大学准教授)

インドシナ難民の受入れが日本を考えるうえでどういった位置づけであるのか、戦後の社会をどのように変えてきたのかの視点からインドシナ難民受入れ40年を振り返る。

「冷戦人道主義の逆説」佐原彩子(大月短期大学准教授)


アメリカ研究の視点で、アメリカのインドシナ難民受入れが冷戦期に拡大していいった動きと日本の関係を考える。
「冷戦人道主義」をキーワードにまたその「逆説」的な見方も展開する。

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第2 部 日本のインドシナ難民支援の展開

「ベトナム終戦と日本」吹浦忠正(さぽうと21 理事長・元国際赤十字インドシナ駐在代表)


ベトナム戦争を知り、ボートピープルが日本にやってきた緊張を知る話者が40年を振り返る。
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「難民を助ける会から見る難民支援の40 年」 柳瀬房子(AAR 会長)


政治も宗教も後ろ盾もない市民団体であるAARが活動してきた具体的な場面を豊富な写真で紹介。
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「インドシナ難民定住受け入れの現場から」 寺本信生(元難民事業本部・元定住支援センター施設長)


ベトナム戦争終結時に青年海外協力隊で現地活動していた話者は政府が自然消滅し難民が流出するという現実を目撃。
帰国後は、受入れ体制づくりに奔走。その試行錯誤の実際を語る。
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「難民支援協会からみた難民支援の20 年~ 2000 年代以降の視点から」石川えり(難民支援協会代表理事)


難民が逃れてきた日本で安心して暮らせるように、また彼らとともに生きられる社会を実現するために、具体的にどのような支援ができるのか。これまでの取組みをもとにできたこと、課題について報告。
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第3部 当事者・関係者からみた40年
-インドシナ難民当事者・関係者による座談会

ラオス:チャンタソン・インタヴォン(ASPBラオスの子どもに絵本を送る会代表)

ベトナム:グエン・タット・トルン(ベトナム難民2世・JAXA、研究開発部門センサ研究グループ)

グエンさんの祖父はボートピープルとして国外脱出されました。

カンボジア:ユ・エン・ワンティ(カンボジア難民、(株)虎屋勤務)

司会 佐原彩子(大月短期大学准教授)


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