ブラジルから日本へ。2つの文化があって私がある。柳瀬フラヴィア智恵美【支援生】

やなせフラヴィアちえみ
2009年度支援生。ルーツはブラジル。
カナダの大学院卒業後に電通に入社しグローバルメディアを担当。

大学時代からマスコミ志望

もともとは海外との仕事が多い商社を志望していました。
カナダの大学院(University of Victoria)に留学し、留学中にボストンのキャリアフォーラムにも参加しました。
ひたすら数々の会社にアプローチしましたが、就職活動を続ける中で、自分のやりたいことと向いていることは違うと気づかされたんです。

大学時代に3年くらいNHKのラジオ番組でアシスタントディレクターのアルバイトをしていたことがあり、とてもやりがいがあって、マスコミもいいなと思い志望を変更。
就職試験は電通しか受けず採用されました。

大学では社会学を専攻

大学は国際基督教大学(ICU)で学びました。
ある日、1年生の時に友達に誘われたのがきっかけですが、日系移民についての講義があり、その時に自分の現実をはじめて知ったんです。
「これはうちの家族のことだ」って。それで社会学に興味を持ちました。
移民研究のサークルを立ち上げ、たくさんの外国籍の方にインタビューをして視野が広がりました。

自分の生きている世界は、他人と接することでやっと違いに気づく部分もあります。
子どもの頃はいじめに遭ったり、心ない言葉を浴びせられたこともありましたが、いろいろな経験が自分を強くしたと感じています。

小学校4年生で日本に

1989年、ブラジル経済が落ち込んでいる時代、法律改正をきっかけに日本からスカウトがたくさん来て、父が先に来日しました。

その後、私たちが日本に来たのが1997年、私が小学4年生の時です。
学習をする上での日本語は難しかったですが、日常会話は1年くらいで話せるようになりました。
周りの子と違う自分が嫌でポルトガル語を忘れようとした時期もありましたが、2つの文化があって私がある。
両親のサポートのおかげでそう思えるようになってからは、私がポルトガル語を忘れないようにと、家庭での“公用語”はポルトガル語となり、家では完全にポルトガル語を話すようになりました。

「さぽうと21」との出会い

大学時代は常にアルバイトを掛け持ちしていましたが、本当にお金がなくて、大学を辞めようか、1週間以内に決断しなければならない時がありました。
その時、私が何かの雑誌に載っているのを見たという「さぽうと21」の事務局の方から、奨学金に挑戦してみてはどうかという手紙をいただいたんです。
これは奇跡だ、運命ってあるんだな、と思いました。
その手紙がなかったら、大学生活は続けていなかったかもしれないし、今の自分はないですから。

人生の岐路に立った時、必要な時に助けてくれる人が現れる。
恵まれた人生だと思うので、私も誰かの役に立つミッションがあると感じています。

使命は

移民の子だけでなく、私がマイノリティの人たちとの懸け橋になれればと思っています。
外国人に対する差別的な表現をなくしていきたいと考えていて、まずは広告の世界からと社内で色々企画をしています。

自分のアイデンティティが分からなくなってしまう子どもがいるけれど、国籍は社会的な要素であって、自分は自分。頑張れば何でもできるし、日本の会社にも就職できます。
できるだけいろいろな人とコミュニケーションをとりながら、その人にポジティブな影響を及ぼすことができる人間になりたいと思っています。

※この記事は、さぽうと21創設35周年記念誌『社会福祉法人さぽうと21の記録 36年目からの挑戦(2014年刊)』の記事からウェブサイト用に抜粋したものです。

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