40周年の今、在日インドシナ難民一世の方たちの体験を聴く、会草創期のボランティアたちの声を聴く

難民を助ける会名誉会長 柳瀬房子

40周年の今なら、在日インドシナ難民一世の方たちの体験が聴ける、また、会草創期のボランティアたちの声を聴くことができるのではないか、そんな思いを巡らせていた矢先、上智大学大学院蘭(あららぎ)信三教授(国際関係論)から「当時の人たちの話を、今の関係者に語り継ぐということはとても意義深いと思いますが、如何でしょう? インタビューの記録はきっと貴重なものになりますよ」と声をかけられました。
これが今回のインタビューのきっかけでした。

40年前、日本を起点とした国際協力NGOが、どのような人々により、どのような過程を経て創設されたか、どんなきっかけで難民支援のグループに関わることとなったのか、そして、それぞれの人のその後の歩みなどが具体的に記録されています。とりわけ、そこに関わった人の「思い」がしっかりと語られています。

ボランティア活動は、いわばしたくなければしなくても済むことです。それでもどこかに止むにやまれぬ思いがあって、それが自らを突き動かし、善意が集まって40年の月日が続いたということを、あらためて振り返ることができました。

また、2015年の「さぽうと21」の36周年には支援を受けた方々へのインタビューも行い、その方々のインタビューも掲載いたします。

「認定NPO法人難民を助ける会」(以下AAR)と、その国内活動を分離してできた社会福祉法人さぽうと21(以下「さぽうと」)の現在の職員の半分は、設立時(1979年)以降に生まれています。創設者の相そう馬ま雪ゆきか香先生(1912~2008)が、ご健在だったら、きっと「今時の若者、捨てたものではないわよ!」と仰せになるでしょう。

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