「アフリカへ毛布を送る会」「じゃがいもの会」「愛のポシェット」「対人地雷キャンペーン」善意が集まった

対人地雷撤去キャンペーン着ぐるみ行進。1997年

1979年


会創設からひと月も経たないうちに相馬雪香 会長(中央)はタイ・カンボジア国境地帯や、マレーシアの難民キャンプを視察した。左端は長女で同時通訳者の原不二子さん。

1984年


創立5周年を期して、「インドシナ難民を助ける会」は、名称から「インドシナ」を削除し、「難民を助ける会」とし、活動範囲を地球規模にしていった。「アフリカの子どもに水とミルクを!」キャンペーン。アフリカに派遣されるボランティアたちの壮行会。

1984-1986年


「アフリカの飢餓」が叫ばれた1984年、外務省ほかと協力し、「アフリカへ毛布をおくる会」(森繁久彌会長)を創設。吹浦忠正代表幹事が実行委員長となるなど、中心的に活動し、172万枚の毛布とその送料として原則1枚につき500円の寄付を集め、総額13億6千万円になった。残余の寄付約4億円を南アの黒人児童・生徒のための奨学金とした。

1985年


森進一、黒柳徹子さんらの協力で「じゃがいもの会」を結成、第1回チャリティコンサートを武道館で開催。以後、17年間開催した。

1988年


「じゃがいもの会」チャリティコンサートではチケットの販売や物販など、ステージ以外の一切を担当した。

1990年


ザンビアのメヘバ難民キャンプに創設した「じゃがいもクリニック」。医師であったベトナム難民ダット氏を派遣。同クリニックは2019年現在もザンビア政府や難民自身の手によって稼働している。

1993年

カンボジア和平が成り、文具や衛生用品などを詰めた「愛のポシェット」を日本全国から集める運動を展開。
8本の特設電話で対応した。

1994年


「大虐殺」から逃れたルワンダ難民支援のため、タンザニアに派遣された井戸掘り隊の壮行会。

1995年


タンザニアのガラ難民キャンプで井戸掘りを実施するAAR井戸掘りチーム。

1995年


「ルワンダからの難民にセーターをおくる運動」を実施。

1995年


「愛のポシェット運動」には計50万個以上が全国から寄せられ、東品川の倉庫でボランティアが仕分け作業を行った。

1995年


長年、タイをはじめカンボジア、ラオスで、車椅子の制作・修理技術の指導に尽力した上野茂さん。カンボジアではプノンペン郊外キエンクリエンに障がい者支援センターを設立、そこを拠点に各地で支援し、現在に続いている。

1996年


AARでは早々にホームページ作成ボランティアによる「コンピュー隊」を結成。専門家や元ベトナム難民も加わって情報公開などに努めた。

1996年


在日難民への支援では奨学金の給付に力を入れただけでなく、毎年、夏合宿(一度は冬にも)開催し、奨学生と徹底に交流し、指導し、激励した。東京のオリンピック記念青少年総合センターにて。 

1996年


夏合宿で奨学生と面談する相談員。東京コミュニティ・カレッジから多くのボランティアが参加してくれた。

1996年


ボスニア・ヘルツェゴビナで小学校を中心に「愛のポシェット」92,000を贈る。JENと配布の協力。

1997年


銀座で「対人地雷撤去キャンペーン着ぐるみ行進」ぬいぐるみたちが、松葉杖を突いたり、腕に包帯を巻いたりいて地雷の被害を訴えた。

1998年


長野五輪で全国に呼びかけ「愛のひざ掛け」運動。
毛糸のモチーフをつないでひざ掛け(10,100枚)に仕立て、サラエボに送った。

1998年


日本語教室だけでなく、補完教育を行うための学習支援室を別に設けて運営された。
毎晩1対1で勉強を指導。

1999年


旧コソボ自治州で、日本中から集めた毛糸のセーターを贈る。

2001年

絵本「地雷ではなく花をください」で一躍有名?になった、AARキャラクター、サニーちゃん、かわいがってもらってね。発送作業。

2001年


「さぽうと21」に引き継がれた、難民のための相談室での会議のひとこま。今は亡き、大野里友、樋口静子、林桂子相談員の姿も。

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