ベトナム戦争終結。インドシナ半島から多くの難民が国外へ。 難民を助ける会はそこから始まった。 2021.07.14 軌跡 ベトナム戦争の終結1975年、ベトナム戦争が終結しました。そこに訪れたのは平和ではなく、政治的大混乱でした。新しく政権を担った政府が、旧政権の指導的立場にあった人や、新政権に反抗的な国民を弾圧し始めたのです。弾圧された人々は国内に留まっていては命の危険にさらされ続けるので、国
日本で生活する難民の人々に必要なサポートを 2021.07.13 軌跡 難民塾ひまわりで学ぶ子どもたち。1983年。難民を助ける会・さぽうと21は難民として日本に住む方々にたいし、さまざまな支援を行ってきました。難民救援奨学金制度1982年発足。返済義務の無い奨学金。日本定住難民の学生を対象に就学支援を開始。難民塾/難民子弟塾1983年7月開始。
「アフリカへ毛布を送る会」「じゃがいもの会」「愛のポシェット」「対人地雷キャンペーン」善意が集まった 2021.07.12 軌跡 対人地雷撤去キャンペーン着ぐるみ行進。1997年1979年会創設からひと月も経たないうちに相馬雪香 会長(中央)はタイ・カンボジア国境地帯や、マレーシアの難民キャンプを視察した。左端は長女で同時通訳者の原不二子さん。1984年創立5周年を期して、「インドシナ難民を助け
さぽうと21 35周年記念 箱根のつどい 2021.07.12 軌跡 ベトナム難民との再会難民を助ける会では、2014年9月、発足35周年にあたりこれまで出会った難民の方々と集う「ベトナム難民第1・第2世代のつどい」の箱根1泊旅行を開催しました。柳瀬房子(難民を助ける会名誉会長・さぽうと21評議員)文字通り生命をかけて、地雷の埋まっている国境を超え
40周年の今、在日インドシナ難民一世の方たちの体験を聴く、会草創期のボランティアたちの声を聴く 2021.06.14 インタビュー 難民を助ける会名誉会長 柳瀬房子40周年の今なら、在日インドシナ難民一世の方たちの体験が聴ける、また、会草創期のボランティアたちの声を聴くことができるのではないか、そんな思いを巡らせていた矢先、上智大学大学院蘭(あららぎ)信三教授(国際関係論)から「当時の人たちの話を、今の関係者に語り継ぐと
東京都外国人相談の黎明期に相談員として、ボスニアで選挙監視、ラオスで学校をつくる。 高橋敬子【さぽうと21理事長】 2020.09.01 ボランティア ボスニア・ヘルツェゴビナでの選挙監視。花が添えられた投票箱の奥、右から2人目が高橋さん。2000年。たかはし・きょうこ1947年、東京生まれ。中学から大学まで青山学院に学ぶ。ミッションスクールという環境もあり、学生時代から多くのボランティア活動に従事。東京都外国人相談の相談員をしなが
柳瀬房子さんとはママ友。「ご飯も食べさせておくし、お風呂にも入れておくわ」 原田美智子【ボランティア】 2020.09.15 ボランティア 目黒区平町のAAR初代事務所で作業中の原田さん。1980年代はらだ・みちこ1947年生まれ。AAR前常任理事。AAR創設時より友人であった柳瀬房子現AAR会長の依頼で、ボランティアを始める。2人の男の子を育てながら、さまざまな業務やイベントにおけるボランティアの取りまとめを行ってきた
ビドン島派遣看護師に応募、即採用で国際看護師の道に 宇野 いづみ【ボランティア】 2020.10.15 ボランティア マレーシア、ビドン島にて。体重測定やワクチン接種の確認など、子どもの健康チェック中。カメラの持ち込みが禁止されている島で同僚が素早く撮影。うの・いづみ1956年東京都生まれ。東邦大学看護専門学校を卒業後、同大学付属病院にて3年程勤務して退職。ハワイで英語を学び、一時帰国中にAARのマ
両親がベトナム戦争で逃れ日本に ファム・ニーブン【支援生】 2020.10.01 インタビュー 1988年生まれ。ルーツはベトナム。2014年に東京工業大学大学院を卒業後はIBMでコンサルタントとして勤務。大学時代にコンサルタントを目指す大学2年生の頃、今いる環境をガラッと変えたくて大学院への進学を決めました。大学の学部で学んだことだけでは満足できな
「ベトコン」塾でベトナム語のワープロをつくる。 吉田敦【ボランティア】 2020.03.15 ボランティア パソコンに向かっているのが吉田さん(中央)。AARの最初の事務所・柳瀬邸離れの増築した部屋にて。奥が森山ゆりさん。よしだ・あつし1963年生まれ。1991年東京工業大学大学院修士課程修了後、特定国立研究開発法人理化学研究所研究員補。1999年、同大学院博士号(理学)取得。113番
難民塾「太陽」開講当初から関わった国語教師 小渡美智子【ボランティア】 2020.04.01 ボランティア インタビュー中の小渡さん。AARの事務所にて2018年冬。こわたり・みちこ1942年東京都世田谷区生まれ。4人兄弟で上に兄と2人の姉がいる。鎌倉市材木座に育つが、高校卒業と同時に世田谷に戻る。都立大学国文科で国語学を専攻し、卒業後は私立高校で国語教師として教鞭を執る。卒業の1年後に、大学
エンジニアとして職業訓練校建設、井戸掘削に携わる。小松博史【ボランティア】 2020.03.01 ボランティア ガラ(タンザニア)のAAR事務所兼宿泊所の前でスタッフたちと。井戸掘り作業には難民の人々が参加できる状況ではなく、スタッフは現地の住民から採用された。2列目右から2人目が小松さん。後ろに立つのはともにAARから派遣された運営・管理担当の田中さん。1985年。こまつ・ひろし1955年生
タイの難民キャンプ「サイトⅡ」で調査 吉田(渡辺)秀美【ボランティア】 2020.06.01 ボランティア カンボジアのAAR事務所前で。左から吉田(渡辺)秀美さん、柳瀬房子名誉会長、長有紀枝現会長。よしだ(わたなべ)・ひでみ1969年生まれ。1996年、埼玉大学大学院政策科学研究科修了。民間企業を経て、1992年から94年までAARカンボジア事務所、東京事務所勤務。FASID、アイ・
AARでの日本語教師28年。「夏休みなのに来た、えらい。じゃあ、やろうか」 中山はる子【ボランティア】 2020.05.01 ボランティア 太陽塾にて授業中の中山さん(中央)。1999年。なかやま・はるこ1960年東京生まれ。大学では中世の能楽書、世阿弥の『花伝書』を研究。1982年に卒業し、電源開発株式会社に入社。その後退職し、日本語教師となる。一般企業・団体の日本語教師に日本語教師になったのは、大学卒業後
「愛のポシェット」では日通の倉庫で肉体労働、「愛のひざ掛け」ではモチーフをつなぎ10,100枚に。 半田銈子【ボランティア】 2020.05.15 ボランティア 倉庫でチェチェン避難民に届ける毛布の整理にあたる半田さん(左)。2000年。はんだ・けいこ東京都目黒区に生まれる。小学生の時に終戦。学校を卒業後、一般企業に事務職員として就職。23歳で結婚。娘3人に恵まれる。44歳の時、夫が他界。その後、日商簿記2級の資格を取得し、会計事務所に就職した。